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- 2021.03.20 Saturday
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漫画「灼熱カバディ」のTVアニメ化が先日2020年7月7日に発表されましたおめでとうございます。
【情報解禁🔥アニメ化決定!】
— TVアニメ「灼熱カバディ」公式 (@kabaddi_anime) July 6, 2020
今イチバン熱いスポーツ漫画
「灼熱カバディ」がTVアニメ化決定!
武蔵野創先生描き下ろしティザービジュアルを公開!
公式サイトもオープンしました!https://t.co/nElgLNV9AT#灼熱カバディ pic.twitter.com/5Xxk1DMaq3
ということで、改めて漫画を第1巻から読み直してみたので声優の予想というか希望というか僕の脳内声優の方々をご紹介したいと思います。さあどうぞ。
2019年に公開された映画「HELLO WORLD」の主題歌の一つであるOfficial髭男dismの「イエスタデイ」。
この歌、めっちゃ好きなんですよ。
おそらく僕が2019年で最も聴いたアニソンですね。アニメ観てないんですけど。
メロもいいんですけど、歌詞が特に好きですね。歌詞の中身もいいんですけど、メロとのリンク度が素晴らしいと思います。メロディーに合った歌詞というだけでなく、歌詞(もっと言うと感情の動き)に合わせてメロと歌声を乗せているのがポイント高いです。僕自身も(曲というより)歌を作るときはここを凄く大事にします。メロディが聞こえるような歌・歌詞にしたくないので。
で、今日はこの歌についてちょっと思ったことを書こうと思います。
声優の藤原啓治さんが2020年4月12日にお亡くなりになられました。
藤原啓治 に関するご報告 (AIR AGENCY公式サイト。←藤原さんの所属事務所)
https://www.air-agency.co.jp/topic/20200416_11900
「かぐや様は告らせたい」という作品があります。
正式名称は「かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜」なんですが、公式的にも後半は消されてしまっているというかむしろ「告らせたい」の部分すら怪しくなっているので以下単に「かぐや様」と呼びます。
その「かぐや様」の主人公の一人である四宮かぐや様(以下、括弧を付けずに単にかぐや様と呼びます)のキャラクターソングを勝手に作りました。
みなさん、お建国してますか? そう、今日2月11日は建国記念の日、日本国さんの誕生日です。たぶん2,700歳くらいらしくてですね、世界的にも最も古い国だと言えるとか言えないとか。(「国」の定義にもよりますけど)
それはさておき、今回は昨日くらいから少しバズっているこの話です。
米津玄師のパプリカ、ご多分に漏れずうちの子供たちも大好きで、いつも歌ったり踊ったりしているのだけど、この考察を読んで鳥肌が立った。なんか…凄過ぎる。https://t.co/ohKSzNoa85
— 田中大介🌤️メドレー執行役員 (@DaisukeMAN) February 8, 2020
僕は歌というものはこの世に放たれた時点で作り手の手を離れてゆくもので、解釈について絶対的な正解などなく、それぞれがそれぞれの人生を生きてきた中でふとした瞬間に繋がって見えたその感覚こそが(特にポップスにおいては)大事と思う派の人間ではあるので、普段なら「なるほど、確かにそういう解釈もできて面白い」と思うところではあります。
ただ、こと「パプリカ」についてはこの解釈こそが正解だという認識が固定化されそうで、そしてそれは僕がちょっと嫌だなと思うのと、ここ最近触れたいくつか話が線で繋がって綺麗だなと思えたことを記録しておきたくてこんな記事を書いてみました。(これから↓に書くんですけど)
なので、おそらくこの後何度も書くんですけど、別にこの解釈自体を否定しているわけではないです。否定しているわけではないですが、この解釈が米津さんの意図として正しいよねということに対してはかなり否定気味に話すので、解釈自体を否定しているようには読めると思います。
話として言いたいことは「考えるな、感じろ」なんですが、この文章自体は僕の文章力も相俟って「考える」側になってしまっているので、正直今回の解釈に感銘を受けた人が読んでもあまり納得感はなく気分も良くないものだと思います。だから、少なくともそういう方々は今は読まないほうがよいと思いますので、もし読み進めていただけるのであればその辺りはご注意ください。
そういう話だ。
先月末、増税前だからかAmazonでKindle本のセールをやっていた。それで僕はこれぞ好機ということで科学の本とか宇宙の本とか哲学とか相対性理論とか量子論とかフーリエ変換とかベイズ統計学とか河合あすなさんの本とかを買いあさり、勢い余ってセール対象ではない青春ブタ野郎シリーズも全巻ポチったのだが、その中で漫画「ハチミツとクローバー」の第1巻〜第3巻がAmazonプライム会員は無料で読めることを知った。
ハチクロを最初に呼んだのは確か僕が高校3年生のときで、確かまだ最終巻(第10巻)は出ていなかった(第9巻も出ていなかったはず)。クラスに少女漫画が好きな友人(男)がいて、その友人が学校にハチクロの単行本を持ってきていて、クラスの女の子たちから薦められて回し読みした記憶がある。
当時の僕は音楽にしても漫画にしても恋愛作品に深く入る込めるような人間的情緒は人並みにはなかったというか恋愛を恋愛として認識できるような余裕がなかったというかまあなんかそんな感じだったので形上は認識しつつもハチクロを恋愛作品として楽しんでいたわけではなかったように思う。(少女漫画的な絵柄にもあまり耐性はなかった)
それでもハチクロが面白い作品だと思っていたのは確かで(と言いつつ当時の僕は今以上にひねくれていたのでクラスの女の子からハチクロの感想を訊かれたときは「まあ面白いんじゃないかな、線はちょっとラフだけどね」みたいな誰様貴様みたいな返しをしたわけだが)、それはとても笑える楽しい作品という感じだった。
だから、第9巻くらいからの全体的に暗くて重いシリアスな展開は正直肌に合わなくて、当時の僕には受け止め切れなかった。第10巻も一応読んだような記憶はあるのだが、ちょうど受験シーズンを迎えていたりして発売後しばらく(とはいうものの先の友人から借りて読んだので高校在学中ではあったと思う)してから読むことになったということもあり、凄く雑に読んだ記憶がある。だからその辺りの内容は今となっては全然覚えていなかった。(覚えていたくなかったというのもあると思う)
そんなこんなでハチクロの漫画とは13年以上顔を合わせていなかったのだが、第3巻まで0円ならちょっとまた顔を伺ってみてもよいかなと思った。ただ、ハチクロが青春マンガというイメージはしっかり残っていたので軽い気持ちで読むと死ぬということはわかっていた。折しも漫画「かぐや様は告らせたい」の全巻読破4周目に入っていた身としては、ここで死ぬわけにはいかないと思った。だから、ちゃんと時間があるときに読もうと思った。
そして台風19号が過ぎ去った10月の三連休最終日である今日、僕はハチクロ第10巻を読み終えていた。何なら未収録の2話分も読み終えていた。台風はいろんなものを連れ去っていったけれど、僕のカラダには青春スーツが昨日食べたニンニク料理のようにもんわりとまとわりついているのがココロで感じられた。強い。
それでなんでこんな記事を書いているかというと第10巻半ばにある羽海野チカさんのあとがき(ウミノとゆかいななかまたち)が印象的だったからだ。
「私は子供の頃からマンガが好きでたくさん読んで一方的に幸せをあびるようにもらって来ましたが
今度はそうやって先輩たちからもらったものの何百分の一かでも
次に読んでくれる誰かのためにどうにかして還していかないといけないんだ――と
そんなコトぐるぐる考えました」
「もらったものが大きすぎて今はまだ途方にくれていますが
コツコツひとつひとつ物語をまたつんいくしかないんだ…と自分にいい聞かせております」
このブログの昔のほうを漁ってみると漫画とかアニメとか小説とか音楽とかいろいろたくさん感想を書いておりまして、一時期からそれはTwitterに移行したりしたんですけど、今はかなり減りました。というより意図的に減らしました。
その一番大きなきっかけは映画「君の名は。」を観たことで、あの映画を観終わって劇場を出た後に見えた「現実」の景色の手触りを、僕も誰かに与える側に立ちたいと思いました。
音楽を始め漫画でもアニメでも小説でも映画でもいろんなものから僕は素敵な感情を一方的にもらってきました。
それに対して何か貢献したいという気持ち自体は元々ずっとありました。
なので感想を言ったり、考察をしてみたり、布教活動してみたりもしました。(それで評論系の同人誌に寄稿したり「涼宮ハルヒの憂鬱」のサウンドトラック発売運動をやったりもしました)
それ自体が無駄だったとは全く思わないのですが、そこそこ長くそれを続けてきたからなのかアニメを観て考察して感想を書くということがルーチンワークのようになってしまっていることに戸惑いもありました。自分に合わない作品(や思い通りにならない運営サイドの動向)に対してネガティブな感情をぶつけることは勿論、それは不毛だからと良いところ探しをするということ自体も含め、一体何のために、なぜ僕はアニメを観たかったのかよくわからなくなっていて、よくわからなくなっていることにも気づいてない状況でした。
その中で、「君の名は。」を観終わった後、現実がいつもより輝いて見えたとき、僕はこの瞬間にもう一度触れたくてずっとアニメを観てきたんだ、と思いました。
と同時に、スタッフロールに並ぶ厖大な数の人名や団体名を見て、こんな素晴らしい瞬間を与えてくれるために頑張ってる人たちがこんなにいるのに自分はただ受け取る側だけでよいのだろうか? 有難がっているだけでよいのだろうか?と思いました。僕はこういう作品を創れる人たちをとてもとても素晴らしいと思っているはずなのになぜあちら側に立とうとしないのだろうか、と。
ありがとうと伝えることにはとても価値があります。でも、それは「ありがとう」という言葉自体を伝えることと同義ではありません。ファンレターを書いてそれを体現できる人もいます。批評を書いてそれを体現できる人もいるでしょう。でも僕が受け取ったものを僕自身が伝えるときには、それではとても足りないと思いました。なので、僕は僕にとって最も雄弁な「言葉」である音楽にそれを託すことにして、それを創ってゆくことにしました。手段として何を選ぶかにあたってはいわゆる「才能」も多少影響するかとは思いますが大事なのはそこではありません。これについては「それ自体をどううまく表現できるか」ということそのものよりも、たとえ拙くとも恥ずかしくとも精一杯伝えようとし続けていくことが大事だと思います。それが僕が心動かされる最も重要な部分だと思うので。
そう思うようになったのには「君の名は。」は勿論、RADWIMPSの音楽も大きく関わっていて、特にRADWIMPSの「アイアンバイブル」のこの一節はことあるごとに思い返します。
「晴れた空が僕らに何か 見返りを求めてきたとしたら
どんだけかかっても 笑っても泣いても 払えるもんなど僕にはない
僕を僕たらしめるもの 人やその他諸々
全てに借りを返そうなどと したとこで一生すぐ終えるでしょう
ならば俺はバラ撒くんだ もらった種を咲かすんだ
おりゃそっちの方に懸けてみようと思うが どうだろう?」
僕自身はハチクロや君の名はやRADの音楽ほどに誰かを幸せを分けてあげることはできないと思いますが、イコール「だから何もしない」ではなく、彼・彼女たちから受け取ったものを自分なりに精一杯誰かに繋げて、それで誰か1人にでもそれが伝えられたらいいなと思います。ま、その「誰か1人」には自分自身も入ってるんですけど。
そんなことを「君の名は。」以降ずっと思っていたのですが、ずっと前から羽海野さんも同じことを思っていたんだと思いとてもわかりみが深く嬉しくなったのでこんな記事を書きました。
読み返したハチクロ自体は今になって読み返せて本当に良かったという部分も多く、本当素晴らしいなと思って語りたいことも山ほどあるのですが、言葉だと伝えられないのでそのうち歌にします。
あーこの文章は推敲せずにがががと書いてきたのでひじょーに読みづらいかもしれませんがこれがまあ深々と身にまとった青春スーツのぱわーってことであとはまかせた明日のオレ。大丈夫、青春スーツがあれば怖くない。怪我はするけど。
作りました。
僕にとっては自分が作った曲は全部名曲なのですが、この曲については歌にしてもイラスト含めた歌としてもとても良いものが出来たと自負してます。なので、是非聴いていただければそれでよいのですが、以下この曲にまつわる細かい話をします。
記事のタイトルにもあるようにこの歌は「コスモナウト」という作品の主題歌を勝手に作ってみたものとなります。
元々この歌の原型が出来たのはボイスレコーダーによると去年(2018年)の5月31日で、「20190531デモ(コスモナウトサビ)」というのがありました。大抵メロディは作ろうと思って作ることはほとんどないので、この浮かんだメロディはなんだかコスモナウトに合いそうだなとかそんな感じでメモったのではないかと思われます。
でもこのときのメロディは結構今とは違っていて、確かこの後サビの歌詞を考えながら作っていくうちにメロディも結構変わったんだと思います(あまり覚えていない)。1番のサビのフレーズ(歌詞+メロディ)が出来てからは割と全体が出来るのも早くて、全部のメロディと歌詞の基本形ができるまで割と苦労せず時間がかからなかった記憶です(1週間かかっていない?)。
オケの打ち込みも割とスムーズに済んで自分で歌入れしてみたのですが、かなりスローテンポで透明感のある楽曲に合うような歌い方とかいうのが難しく、断続的に1〜2ヵ月くらい歌入れをしてみたのですが結局思い通りにいかずお蔵入りしてました。(ちなみに、この時期にTwitterで恵八さんのイラストを見つけて「空の詩」の動画に使いたいと思っていました)
元々僕は「秒速5センチメートル」という作品においては第1話の「桜花抄」が好きで、篠原明里さんが好きでした。その中でこの「空の詩」は割とさくっと作ったこともあり、「桜の詩〜距離と時間〜」のときと比べるとそれほど思い入れはありませんでした。
ただ、一旦お蔵入りした後もギターで「空の詩」を弾き語りし続ける中でこの歌への思い入れが強まり、それによって澄田花苗さんへの思い入れがどんどん強くなっていきました。
また、歌詞自体は映画と新海監督版の小説を読んで書いたものでそれがほぼそのまま最終稿になっているのですが、その後清家雪子さんによる漫画版や加納新太さんによる「one more side」を読む中で「秒速」に対する思い入れもどんどん強くなっていきました。
それがまず「桜の詩〜距離と時間〜」を形にすることのモチベーションに繋がっていくわけですが、その中で特に影響強かったのが清家雪子さんによる漫画版で、この漫画版は第2話「コスモナウト」以降の描写がかなり補完……というか追加されているんですね。で、大人になった遠野貴樹くんの思いもいろいろと思うところはあるのですが、とにかく澄田花苗さんが可愛いんです。精一杯生きてる姿がとても眩しくて魅力的。
それからはもう、僕は「空の詩」を自分で歌うときは「俺が澄田花苗だ」くらいの気持ちで入れ込んで歌ってしまう(ていうか感情移入し過ぎて歌詞が刺さりまくった結果途中で歌えなくなる)のですが、そこまで来ると「やっぱこの歌は女性に歌ってもらいたい」と思うようになりました。
そんなこんなで歌を入れてくれる方を探し始めたのですが(イメージ的には木村珠莉さんの歌声が澄田花苗さんのイメージに合いそう)、歌入れ系のサイトをめぐっているとそういうサイトに登録するという性質上仕方ないのかなと思いますが「はきはきして歌が上手い風な人たち」ばかりで、逆に可愛い、優しい系だとキンキンしていたりウィスパー系が多くて違うなという感じでした(とはいえ、それはそれで別の歌であれば是非依頼したいと思える方も何人もいたので別の機会に依頼できるようメモったりしているのですが)。
そんな中でほの香さんも当初のイメージとは違ってはいたのですが、それでもこの歌の持つ世界観を表現するにあたってとても重要な要素を持っていると思い、きっと良いものになると思ったので依頼させていただきました。僕が歌入れを他人に依頼するのは初めてだったので丸々キー変更したりいろいろグダってしまった部分はあるのですが(ほの香さん本当すみません)、キー変更した結果当初自分が思い描いていた以上に素晴らしいものになったので、本当どう転ぶかわからないものです。
歌が出来上がった後、恵八さんのイラストを当ててみたときも、自分が思い描いていた以上に素晴らしくマッチしていて僕は思いました、「餅は餅屋」と。(いや、そういうことか?)
何にせよ、この歌や動画が、澄田花苗さんの魅力を伝えるのに1センチでも力になったらいいなと思います。
ちなみに、元々この歌を書いたときのコンセプトとしては、BUMP OF CHICKENの「車輪の唄」がありました。
これは曲調とかそういう話ではなく、表現に対するスタンスの話です。
バンプの(特に初期の)歌と新海監督の作品の表現に対するスタンスって近いものがあると思うんですね。自分の感情が揺れ動く瞬間と美しい景色の描写が重なるときの「雄弁さ」を重視するところとか。感情を直接言葉で描写するよりも景色を描写する方が感情を鋭く描写してくれるというか。
「車輪の唄」も全体的にもそういう表現はあるんですが、中でも1番Bメロの「同時に言葉を失くした 坂を上りきった時 迎えてくれた朝焼けが あまりに綺麗過ぎて」という表現。
「車輪の唄」は「僕」と「君」の別れの歌なのですが、「僕」や「君」の感情そのもの(別れることが寂しい、悲しい、辛いとか)は直接語られません。その代り錆びついて悲鳴を上げる車輪だったり静かな町だったり改札にひっかかる新しい鞄だったりドアだったり電車に離されてく自転車だったりの描写が彼らの心情を代わりにありありと語ってくれます。
その中での1番Bメロの表現はその辺りの表現とはちょっと違っていて、純粋な景色の描写とそれに対する反応というところに寄っています。でも、美しい景色を見たときに胸がいっぱいになって言葉を失くした経験というのは誰にでもあるのではないでしょうか。その感情がこの描写でよみがえったあとサビに入っていくとなぜかとても説得力を持ちます。
美しい景色を見たときの気持ちを誰かと別れる(あるいは一緒にいられる)ときの登場人物の心情に重ねて勘違いしている……という意味では吊り橋効果みたいなものかもしれませんが、これは凄く破壊力あると思います。少なくとも僕にとってはそうなので、バンプの作品や新海監督の作品に触れているととても心を動かされます。
そんなわけで、「桜の詩〜距離と時間〜」でも景色の描写が心情を代弁しているというのはめちゃくちゃたくさん使っていますが、「空の詩」ではそれに加えて代弁とはまた違う景色の描写(「車輪の唄」の1番Bメロ的なもの)をやりたいなという思いで特にサビの歌詞とメロディを選びました。
恵八さんの素晴らしいイラストがそれを大いに助けてくれていると思いますが、もし他の人にとってもそういった景色を思い浮かべられるくらいの歌詞とメロディーになっていれば嬉しいなあと思います。
前の記事結局日付またいで3月4日じゃなくなってしまったので分割した意味ナッシング……。
あ、歌なしのピアノのみのバージョンもアップしたのでどうぞ。打ち込み感ばりばりですが、こちらのほうが聞きやすいかと思います。
は? 誰の歌が聞きにくいって?
言っとくけど、この歌を世界で一番上手く歌ってるのは俺だけやからな! 一番下手なのも俺やけど!
まあでもこの歌。
歌うまでいかなくても、聴きながらメロディに合わせて軽く歌詞を口遊むだけでもいい感じに「秒速」を追体験できるのではと自負しておりますので騙されたと思って、あいや騙されていないと思って、ちょっと試してみてほしいっす。歌はやっぱ自分でちゃんと声に出してこそ本領があると思うっす。
ところでこのピアノバージョン。
元々ピアノのメロディーはガイドラインとして打ち込んでいたので、そのトラックのミュートを解除してボーカルトラックをミュートすればいっちょあがりと思っていたのですが、なぜかこのメロディートラックでは特定の音(←ピッチという意味ではない)だけ鳴らないという現象がCubaseで発生していまして、結構いろんなところの音が歯抜けになっていることに気づきました。
いろいろ試してみたものの結局原因はわからずじまいだったので、一部の音だけ別トラックで鳴らすことにしました。なので若干不自然な音量差のところもあるかもですし、本当はメロディのベロシティももうちょっとちゃんとしたかったんですが、もう気力が持ちませんでした。うーん、なんなんだろうなー、これ。
それはさておき。
楽曲制作の話をしておきます。
この曲のテーマは、「自分が小(中)学生だった頃の空気感を再現する」でした。
で、そのために選んだ曲調が「合唱曲風のピアノの上にソロボーカルを乗せる」というものでした。
少し順を追って話します。
既にお伝えしたとおり元々この歌は「秒速5センチメートル」の第1話「桜花抄」のために書いた歌です。
で、この「桜花抄」には「想い出は遠くの日々」という、天門さんによる素晴らしい劇伴曲があります。この曲の旋律とかすれるような打鍵音の混じったアコースティックピアノの音を聴くと、毎回身がよじれるような切なさとどこかに懐かしさを覚えます。
まあ要はこの曲大好きなんですが、新海 誠監督作品における天門さんの音楽というのは多かれ少なかれこういったテイストです。しかし、切ない音楽は数あれどこの「どこか懐かしくて切ない」という感じは何だろうということがいつからか気になるようになりました。
その「どこか懐かしくて切ない」感じは、特に「秒速5センチメートル」までの新海監督作品のビジュアルおよびその音楽(とても美しいけど、商業作品としてずらりと並べられるような『綺麗』に整えられたわけではない感じ)に顕著に出ている気がして、「ゼロ年代の空気感」みたいなものが凄く詰まっている感じがしました。
この「ゼロ年代の空気感」というのは別にゼロ年代特有の空気感とかそういうのではなくて、「僕という人間が小学校や中学校を経験した時代の空気感」という程度の意味です。
だから、これは実は今も昔も小中学校時代を過ごした人からすれば、それぞれの人が過ごしたその時代の空気感が再現される普遍性のあるものなのかもしれませんが、僕がそういう時代を過ごした時期にその空気感をパックしているような新海監督の作品と天門さんの音楽が生まれていたことに対して何とも言えない嬉しさみたいなものがあったのであえて「ゼロ年代」と呼んでいます。
で、音楽的な部分のその正体はなんだろうと考えました。
まずメロディーについて考えました。
天門さんのメロディは音数少なめで譜割を大きくとるものが多いです。余白が多い感じです。
これが懐かしさを生んでいるかもしれない。
そう考えたときにまず浮かんで来たのが童謡やみんなのうたみたいな子供向けの歌でした。そしてこれは半分正解といっていい感じでした。
なので、童謡を一時期漁っていた時期がありました。子供の頃特に好きだった「赤いやねの家」を聴いて、この曲は新海監督作品や自分にとって大きな存在であるBUMP OF CHICKENの世界観にも繋がるなーなんて思ったりもしました。
一方で、童謡をCDとかで聴くと脳内イメージと結構違っていて、あまりにきちっとしていて明るいので、秒速に心酔するような根暗気質にはちょっと「音」が違うなと思いました。
それで次はメロディー以外のサウンドやアレンジについて考えました。
まず、楽器としてアコースティックのピアノというのはノスタルジックポイント高いです。幼少期から高校卒業まで聴く機会が非常に多いですからね。
ただ、それだけでは足りません。
世の中にはピアノの音楽なんてたくさんあるわけで、ピアノの音だからなんでもノスタルジックなわけではありません。
で、じゃあ僕はどんなピアノの音(童謡のとは違った)にノスタルジックを感じるのかなと思ったときに浮かんだのが、「合唱曲」でした。
ポップスのピアノアレンジは歌の伴奏という側面が強いことからクラシックやジャズと比べてタメや強弱はかなり少なくテンポも基本一定で4つ打ちが多いですが、合唱曲のピアノアレンジはそれに輪をかけてシンプルで難しいフレーズみたいなのも入ることなく素朴です。
でも演奏テクニックや音楽的技巧に拠らないそのストレートなシンプルさが、懐かしさを、子供の頃の感覚を取り戻すのにいいなと思いました。感情を煽るならピアノにストリングスを乗せた方がこうグッと来るものはあるのですが、それがないほうが懐かしさ的にはいいなと。いやまあ、パッヘルベルのカノンのストリングスは懐かしくて泣けますけどね。こういうピアノ(だけ)がもっとあってもいいなと。
そんなわけで一時期はそういう合唱向けのピアノ曲を漁っていました。
普通の音楽ではあまり出回っていないので合唱向けのピアノ曲の楽譜集の参考音源を聴くという手段をとっていました。(Amazon Prime特典で聴ける。Amazon、なんでそんなところカバーしてんの)
特に下記の「二分の一成人式」という曲は新海監督作品に使われていてもおかしくないなと思った曲で、この曲に辿り着けたときにこの探し方は間違っていなかったなという思いになりました。(ただ、歌詞はちょっとアレなんで、ピアノインスト版ばかり聴いてましたけどね)
※ちなみに、今回作った歌のコード進行とか展開とかアルペジオの組み方とかは結構この曲を参考にしています。
しかし、合唱曲に辿り着いたはいいのですが、僕は合唱の歌声(歌い方?)というのはあまり好きではないんですね。なんか言葉の輪郭がモヤっとしている感じというか。あとあまりあどけなさがない感じになるので。
その結果、「合唱曲風のピアノ(のみ)アレンジにソロボーカル乗ってるのが(ノスタルジック的に)最高」ということになりました、僕の中で。
具体的には、それこそ「秒速5センチメートル」の前作「雲のむこう、約束の場所」の主題歌「きみのこえ」とか、「時をかける少女」主題歌の「ガーネット」(奥 華子さん)とかあの辺ですね。うん、本当は女性の声が乗ってるのが最高(男は声変わりしちゃうと大人っぽくなってしまうし)。その女性の声も、川嶋あいさんや奥 華子さんのようにあまり歌歌していないのがいいなと。
とはいえ、今回の歌では主人公の貴樹君視点ということもあって、男性が歌うほうがよいなとは思いました。
そんなこんなで方向性は決まりました。
さて、ここからはどんな感じでこの歌自体が出来ていったかの話。
前述のようなテーマ自体はあるのですが、最初からこのテーマで作り始めたわけではないです。
元々この歌のサビのフレーズ(「桜の花びらが落ちる速度を」と「星が遥か遠くの宙をめぐる周期を」)は2年前(2017年)のこの時期(3月くらい)には既に歌詞もメロディもあった記憶があります。(いつ浮かんだのかは覚えていない)
ただ、このときは歌詞とメロディが一緒にたまたま浮かんできただけでこれを歌にしようというような思いは特別ありませんでした。
時は流れ、イントロ冒頭のピアノのフレーズがまた別個に浮かんできまして、この辺りをAメロのメロディか、Aメロのバックに流れるリフにできないかなーと思っていたものの、なかなか上手くいかず放置しました。
そこからしばらく放置していましたが、先ほどの「二分の一成人式」を知ってから前述のような方向性が浮かんできて作業が一気に進み始めました。
それで2018年の3月4日に公開しようと思い、2018年の年明けぐらいから一気に曲も歌詞も書き上げて打ち込みまで済ませました。この頃はバンダイチャンネルでひたすら「秒速」だけ繰り返し繰り返し観ていた記憶です。
歌の伴奏のピアノアルペジオがずっと同じだと流石に単調なのでこれをいろいろいじるのに四苦八苦して時間はかかりましたが、詞も曲も自分のやりたいこと、感情が最も赴くままに、「桜花抄」に触れて自分が感じた感覚に近いところに持っていくだけだったので割とあっさり出来た記憶です。(むしろやりたいこと詰めまくって長くなったから打ち込みが大変だった)
で、歌も入れてみたんですが、これが上手くいかない。
何度かやってみたんですが、正直自分でもどうしたらいいかわからなくなってきて、結局2018年の3月4日には間に合わず……。
厳密には3月中ならまだいっか、とか4月前半くらいなら、とか粘った気はしますが、流石にもう今更という感じになってからは来年でいいやと別の歌を作るほうにどんどん流れていって放置状態になりました。
それでそろそろ3月4日に向けて準備をしないとと思い始めた昨年末、12月半ばくらいから風邪をひいて1ヵ月くらい声を出せず、2ヵ月以上喉の違和感を引きずってしまったので大ピンチ。
本当はこの歌出す前に形にしたかった他の歌もあったのですが、そっちやってるとこれが間に合わないということで急遽こっちの歌入れを頑張ってなんとかギリギリ間に合わせました。なんかもう、歌い方よくわからなくなってましたけど。
いやでも本当出せてよかったです。歌(と録音とミックス)はちょっとまたやり直したいですけど。もっと技術がついてから。
個人的には「小さな僕らには全てが」とか「少しずつかわっていくのだろう」とかが合唱曲っぽい展開として凄くやりたかったところなのでやれて満足です。(一曲の中に詰め込めすぎ感はありますが。この歌、一体どこが1番でどこが2番なのか)
歌はさておき、我ながらいい歌を書けたなーと思いました、まる。
以上!
本日3月4日は新海 誠監督のアニメ映画作品「秒速5センチメートル」において、離ればなれになった主人公とヒロインが世界の果て·岩舟にて再び相見える特別な日です。
というわけで、勝手に主題歌を作ってアップしました。どうぞお聴きください。
えー、どういうわけかと言いますと、僕はこの「秒速5センチメートル」という作品が好き好き好き好き好きっ好きっでして、どれくらい好きかというと、限定版のDVDも持っていてそれを常に家のDVDプレーヤーに入れてすぐ再生できるようにしていたり、それでもDVDの操作面倒だなということでバンダイチャンネルでひたすら秒速だけ再生しまくったりしていたのですが、「もう少し効率的に秒速成分を摂取する方法はないか?」と考えた結果として、比較的短時間で摂取が可能で自己再現性が高く反復摂取での効用耐久性も高く「ながら消費」も可能なのは(歌モノの)音楽だろうと考えました。そして作りました。どやっ。
この主張について過程はともかく結論に対して「既に秒速の音楽はあるじゃん」とツッコミたくなるのではないかと思います。
確かにあります。
秒速の音楽は天門さんによる劇伴も山崎まさよしさんによる主題歌もとてもとても素晴らしいです。聴いてみて。
ただ、秒速という作品は、3話分のお話(「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」)がまとめられて秒速という1つの作品となっていますが、主題歌は1つだけなんですね。「君の名は。」は1話分で4曲(実質5曲)も主題歌あったのに。
で、山崎まさよしさんの主題歌はやはり「秒速5センチメートル」の主題歌という感じなので、それ以外の主題歌もあったらいいなーと思ったので作りました。(別に秒速という作品自体に対して主題歌1つだったことを物足りなく思っているわけでは全くなく、インスタントに秒速を摂取したいというわがまま顧客のニーズに対応した結果です)
ま、それは理由の半分でして、もう半分の理由としては、僕が心を動かされたもの――それは例えば音楽だったり映画だったりイラストだったり小説だったり――に対して、その心の動きをなるべく忠実に形にしたいと思うようにここ2〜3年で思うようになったんですね。自分の心が、感情が何を感じてどんな風に揺れたのかを真空パックできたらいいなと思ったんです。
そのときに、どういう手段がよいだろうと考えた結果が「歌を作る」というものでした。
昔は言葉(だけ)でそれを如何にして語るかみたいなことばかり考えていたりもしたんですけど、やっぱり言葉だけでは無理だなと思うようになりました。いや、言葉だけでOKな人もいるんでしょうけど、僕が言葉だけで表現してその言葉だけから僕が感情を再生するよりは歌でそれをするほうが遥かに相性がよいなと思ったんです、僕の場合は。
言葉だけって難しいじゃないですか。
めちゃくちゃ面白い漫才があったとして、それを誰かに伝えるときに「めっちゃ面白いボケ!」「めっちゃ面白いツッコミ!」と再現しても全く伝わらないじゃないですが(その表現自体は面白いかもしれないけど元々の漫才の面白さとは違う)。
いやいや「めっちゃ面白かったよー」って言っておけばいいじゃんって思うかもしれないですが、それではあの日あの時あの場所あの瞬間に動いた僕の心の動きは残らないんですよ。
そんなん別にいいじゃんって思うかもしれないですが、それが凄く嫌だなって思うようになったんです。「秒速5センチメートル」や「君の名は。」を観てから。
自分が美しいと思った風景や作品のことを、それらにこれだけ心を動かされた人が確かにいたことを、自分がいなくなった後も残せたらいいなと思うようになったんです。それがどんなに拙くて不恰好でも病み上がりでも。
その結果の一つが今回の歌というわけです。
あ、楽曲制作についての話もしようと思ってたけどもう日付変わるのでまた今度。